「8時間労働制」を崩すことは認められない
1日・1週間の労働時間の制限は、賃金改善と並んで労働組合の基本課題です。資本主義が発展する中で、労働運動は人間らしい生活を求め、労働時間を制限させるため、政府や資本家と数世紀に渡って闘ってきました。5月1日メーデーの合言葉は「8時間の労働、8時間の睡眠、8時間の自由時間」。その闘いの到達点が「8時間労働制」です。日本では戦前、労働運動は過酷な弾圧を受け、敗戦後にようやく労働基準法で8時間労働制を実現させたのです。16時間にも及ぶ長時間労働は、多くの犠牲の上に勝ち取られたこの権利を台無しにし、歴史の針を200年前に戻すものです。時短を要求こそすれ、延長などとんでもありません。
二交替制を合法化する“抜け穴”「1ヶ月単位の変形労働時間制」とは?
8時間労働制に縛られず、もっと自分たちの思うように労働者を働かせたい財界の要求で87年から導入された制度。労働時間が一ヶ月平均して一日8時間、週40時間になればよい、一日・週労働時間の上限も定められていない、という8時間労働の“抜け穴”であり長時間労働⇒「過労死」の温床の一つ。
労働時間制限の歴史
1833年 | 12時間法(イギリス)⇒初めて法律で一日の労働時間が定められた |
1847年 | 10時間法(イギリス) |
1866年 | 国際労働者協会、8時間制を要求 |
1886年 | 米シカゴで8時間制求めゼネスト |
1890年 | 第1回メーデー |
1916年 | 日本、工場法(11〜13時間法) |
1917年 | ロシア革命、8時間労働制実施 |
1918年 | スウェーデン、ドイツで8時間制 |
1919年 | ILO第一号条約、8時間制定着へ |
1926年 | 日本、工場法改正(10時間法) |
1927年 | ソ連、7時間制へ |
1935年 | ILO第47号条約で週40時間移行促進 |
1936年 | フランス、ゼネストで週40時間に |
1947年 | 日本、労働基準法(8時間制) |
1997年 | 日本、週40時間制 |