「東日本大震災」被災者救援カンパの訴え
皆さんもニュース等でご存じのように、さる3月11日午後に発生した「東日本大震災」は日本の観測史上最大級の地震となり、津波等による広範囲にわたる被害が時間を追って広がっています。
特に青森、岩手、宮城、福島、茨城など、太平洋沿いの街が壊滅的打撃を受けている中、災害時必要とされる医療体制もままならず、被害者の数が増え続けている状況です。
私たちは、夜間氷点下になる中、住居を失い、停電やネットワークの寸断、水や食料の供給不足、家族の安否確認もできず不安な毎日を過ごしている被災者の方々に、「いのちまもる」医療労働者の使命として可能な限りの支援を行うことが求められています。
今後、物心両面からの支援が必要になりますが、混乱が続いている現在、早急に我々の思いを現地に伝え、1日も早い復興の後押しを行うため、皆さまからのカンパを心から訴えます。
2011年3月
カンパは、組合役員に託していただくか、または、下記にお振込みください。みなさまのご協力をよろしくお願いいたします。
被災した東北公済病院(仙台)の看護師より
Iさん:組合員はみな無事でしたが、家族に連絡がとれていない人がいて心配です。自宅の水道、電気、ガスなどは止まっています。街は、道がもちあがったり、塀が崩れています。ガソリンが買えず、タクシーは連絡ができないので、徒歩で来るしかありません。看護師は、日勤-準夜、準夜-深夜とまとめて働いています。家に帰れず、病院にずっといる看護師もいます。
病院は地震当日は自家発電機が使えず、暗い中をろうそくで見回りなどしました。給食は足りなくなりそうで、糖尿、高血圧食の対応はできません。点滴セット、薬はまだあります。被害の大きかった宮城野区にある分院は損壊し、患者180人を本院に搬送する事態となりました。宮城野は寝たきりの人が多く、搬送はたいへんでした。いったん、外来に宮城野の患者を入れて、順次、あいている病棟へ移動。ICUはいつもは4人なのですが、そこに13人入れています。とにかく、ぐちゃぐちゃな状況です。
Aさん:娘の卒業式の最中で、津波が押し寄せる恐れがなくても、天井がバラバラ落ちてきた時は、ここで死ぬのかと覚悟をしました。ほんと怖かったです。
病院は12日の夕方から電気が点き、水道は13日からOKです。救急患者も受け入れながら、分院では、11日に重症者をオープン病院に数名看護師つきで搬送し、本院には、重症者数名、12日には寝たきり、車いすの残り全員(140名程度)を移動し、各病棟のフロアにマットレスを敷き、分院の看護師が看護しています。非常食もやっと搬入され始め、何とか過ごしています。透析患者も食堂にマットレスを敷き受け入れ、看護師つきで社会保険病院に透析に通院しています。本院も分院も、みんな休みなしで働いていてくたくたです。自宅は、ガスはあと3週間ぐらい、水道もまだまだです。食料と水とガソリンを求めるため何時間も並ぶ日々です。これから長期戦になりそうですが、なんとかみんなで頑張っていきます。