◇労働運動の歴史的成果=「8時間労働制」のなし崩しは認められない
◇16時間夜勤は、看護師の健康、患者の安全を脅かす
◇労働時間延長でなく3交替制の改善、夜勤労働者の労働時間短縮こそ必要
このリーフレットは、「2交替・長時間夜勤」に組合がなぜ反対なのか、議論と理解を深めてもらうために作成しました。タダでさえ健康に有害な夜勤が、これまでの倍の時間連続して行われれば、看護師の心身をより蝕むこと、医療安全への大きな脅威になることは、このリーフレットで紹介した様々な調査報告からも明白であると考えます。厚生労働省は、長年に渡る医療費抑制策の結果としての看護師不足、その根本的解決から目をそらすために、また病院経営者たちは人件費抑制のために、90年代前半から様々なメリット論を振りまいて導入を進めてきました。組合員の中にも2交替を希望する声があることは承知していますが、現在の慢性的人員不足からくる3交替制勤務の過酷な現状(日勤ー深夜勤務、夜勤回数や残業の多さ等々)の抜本改善こそ検討されるべきであり、2交替・長時間夜勤はその解決策にはなりえません。このリーフレットをきっかけに、2交替反対にとどまらず、3交替夜勤改善、夜勤者の時短を議論し、要求化していきましょう。
「8時間労働制」を崩すことは認められない
1日・1週間の労働時間の制限は、賃金改善と並んで労働組合の基本課題です。資本主義が発展する中で、労働運動は人間らしい生活を求め、労働時間を制限させるため、政府や資本家と数世紀に渡って闘ってきました。5月1日メーデーの合言葉は「8時間の労働、8時間の睡眠、8時間の自由時間」。その闘いの到達点が「8時間労働制」です。日本では戦前、労働運動は過酷な弾圧を受け、敗戦後にようやく労働基準法で8時間労働制を実現させたのです。16時間にも及ぶ長時間労働は、多くの犠牲の上に勝ち取られたこの権利を台無しにし、歴史の針を200年前に戻すものです。時短を要求こそすれ、延長などとんでもありません。
二交替制を合法化する“抜け穴”「1ヶ月単位の変形労働時間制」とは?
8時間労働制に縛られず、もっと自分たちの思うように労働者を働かせたい財界の要求で87年から導入された制度。労働時間が一ヶ月平均して一日8時間、週40時間になればよい、一日・週労働時間の上限も定められていない、という8時間労働の“抜け穴”であり長時間労働⇒「過労死」の温床の一つ。
労働時間制限の歴史 | |
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1833年 | 12時間法(イギリス)⇒初めて法律で一日の労働時間が定められた |
1847年 | 10時間法(イギリス) |
1866年 | 国際労働者協会、8時間制を要求 |
1886年 | 米シカゴで8時間制求めゼネスト |
1890年 | 第1回メーデー |
1916年 | 日本、工場法(11〜13時間法) |
1917年 | ロシア革命、8時間労働制実施 |
1918年 | スウェーデン、ドイツで8時間制 |
1919年 | ILO第一号条約、8時間制定着へ |
1926年 | 日本、工場法改正(10時間法) |
1927年 | ソ連、7時間制へ |
1935年 | ILO第47号条約で週40時間移行促進 |
1936年 | フランス、ゼネストで週40時間に |
1947年 | 日本、労働基準法(8時間制) |
1997年 | 日本、週40時間制 |